Review

THEATRE MOMENTS 劇評

【2013年第4回せんがわ劇場演劇コンクール『パニック』審査員講評】
演劇ジャーナリスト 徳永京子氏

THEATRE MOMENTSの『パニック』はオーディエンス賞の受賞が納得できる、完成度が高い作品だったと思います。さっき言った批評性を持ってほしいという私の要望に対して、私見では8劇団のなかでは1番それがあったと思います。技術的にも内容もこなれていて、言ってしまえば非常に手練れで上手いのですが、上手さが嫌味になっていない。それは、常に自分たちがやろうとしていることに対して内省や問いかけを繰り返しているからだとわかりました。きちんと現代性について考えられているのも素晴らしいと思いました。安部公房さんの作品は、今、下手に手を出すと古く感じてしまうのですが、THEATRE MOMENTSさんは安部公房作品が2013年にも通じることをちゃんと証明してくださいました。カラオケの曲目にAKBを選んだというようなことだけではなく、時代のキーワードが細かく検証されて入っていると思いました。消費とか浪費を表現するのに、トイレットペーパーを使っているのもよかったです、トイレットペーパーは汗で破れやすいのに、その危険をおかしながら非常に上手く使いこなしていて、スキルの高さを感じました。

http://www.sengawa-gekijo.jp/information/post-8.html


【2014年メルボルンフリンジフェスティバル 「PANIC」】
1:アンドリュー・フルーマン評

ケンジントンのRevoltにて上演された「パニック」の公演期間はあまりに短かったため、残念なことに多くの人々は、この驚くほど身近な政治風刺劇を見逃してしまっただろう。

日本の作家・劇作家、安部公房の短編を原作にした「パニック」の物語は、ある朝目覚めると居間に死体を発見してしまう失業者についてである。当惑した彼は、警察を怖れ、逃亡を図る。後に彼は死体が「パニック・エコノミクス」という怪しげな企業が仕組んだ手の込んだ入社試験の一部であったことを知る。この企業が作るのは恐怖、そして得意先は政府。これ無しに政権が大衆迎合的で厳格な法秩序強化に説得力を持たす方法があるだろうか?

この作品は素晴らしく、荒削りな演劇であり、その不条理なエネルギーは陰謀論的なおとぎ話を主張ある物語へと昇華させている。

日本の劇団(シアター・モーメンツ)とマカオの劇団(Godot Art Association)が共同制作したこの作品は明らかにドイツ・ポストドラマ演劇的である。しかし、恐怖を利用した政治の手法に対する分析は今日のオーストラリアにとってこれ以上なく適切だろう。

かつて「フリンジ」という言葉は政治的演劇という意味を持っていた。今日のメルボルンでは「自己表現の為の低予算の実験」と同義であり、さらにはスタンダップコメディという意味合いも強くなりつつある。それはそれでよいが、今でも真剣に、そして問題に向き合おうとするかつてのフリンジを再発見するのはとても爽快だ。

翻訳:K.K

http://dailyreview.com.au/andrew-fuhrmanns-melbourne-fringe-festival-round-up-3/13131/#.VC_SOANX8Xo.facebook


2:ステファニー·リュー評

日本のシアター・モーメンツとマカオのGodot Art Associationの共作による「パニック」はノーベル文学賞候補にもなった安部公房による、犯罪が引き起こす意外な顛末について描いた暗い短編をオブジェクトシアターの手法を使って舞台化した作品である。小道具をトイレットペーパーとショッピングカートのみに制限することで想像力にはトレーニングが加えられ、同時に演者たちが英語、広東語、日本語と言語を変えることが(英語字幕は壁に投影される)意思の疎通と解釈にひと味加えている。人間がたてる物音を使った音響と台詞を混ぜ合わせ、そこに無駄を省いた照明と誇張された表現および動きを加えることにより、「パニック」はほとんど何も使わずに生き生きと活気あふれる世界を作り出すことに成功している。陽気でありながら、おどろおどろしくもあり、楽しくありながら示唆に富んだ作品である。

翻訳:K.K

http://themusic.com.au/arts/reviews/2014/09/26/melbourne-fringe-panic/


3:マイロン・マイ評

『シンプルでエレガント、ソウトフルで洗練』

本年のフリンジフェスティバルでオーストラリア初演を迎える「パニック」を制作、上演するのはマカオのGodot Art Associationと日本のシアターモーメンツ、原作はノーベル文学賞の候補にも挙がった日本の小説家安部公房の短編である。

物語はある企業の就職試験を受験し、死体の横で目覚めることになる男を巡って展開する。ここから、悪夢が始まり、彼は自分の人生が崩壊するのを目の当たりにすることになる。安部の多くの作品に見られる疎外感〈精神障害)と起因する社会という主題を扱い、効果的に提示されている。

作品は三カ国語で上演される。広東語、日本語、そして英語。これ自体も興味深いことであるが、さらに我々が皆同じであり、我々が繋がっていて、我々が住む世界から影響を受けているという考えを想起させる。何が起こっているのか常には分からないまま物語を追いかけ、自分なりの解釈を役者の身体性と自分の想像力から立ち上げるのは楽しめる挑戦であるが、むしろ「安心」が必要な人のために壁に英語の字幕が投影される。

「パニック」は演出から衣装、小道具まで全体を通してミニマリスト的手法を使用している。このため、劇団員たちは主題や物語を伝え、演じるために想像力を働かせなければならないが、彼らはこの課題に対して見事な答えを出した。ショッピングカートを除けば、使われるのはトイレットペーパーのみであり、必要な小道具は携帯電話からビール、ドライヤーまで全てこれを使い、遠回しに、結局の所、こういった物質全てに実は意味はなく、「流されてしまう」ものであると表している。

作品に対する感想に影響を与えるわけではないけれども、舞台上の俳優たちが観客に対して演じることへの喜びで輝いているのを見るのは楽しいものである。初日の夜、「パニック」の上演後の拍手はかなり長い間続いたが、それにふさわしいものであった。

翻訳:K.K

https://theatrepress.com.au/2014/09/26/review-revolt-presents-panic/


4:ジェイムス・ジャクソン評

日本人作家、安部公房の短編を元にした「パニック」は強烈な動きと素晴らしいセリフおよび物語を融合させた力感あふれ、高度に身体的な作品である。

物語は不思議な仕事を与えられた失業者を中心に展開する:飲み屋である男と会い、酔っぱらえというのだ。主人公が暗い部屋の中、死体の横で目覚めたときにパニックが始まる。

劇場となった洞窟のようなRevoltが謎めいた雰囲気を作品に加える中、我々を出迎える積み上げられた4つのトイレットペーパーの塔は、作品を通して様々な物の代役の役割を果たすものである。電話から、目になり、財布そしてお金になりーートイレットペーパーは物質にあふれた使い捨ての社会に対する考えを提示していく。この手法を通して、「パニック」は強欲や自暴自棄の行為に対する批判を提示し、我々が生き抜くために何処までいくつもりなのか、という疑問を手遅れになる前に投げかける。作品の終わりでは、非常に興味深い代案と、犯罪の必要性に対する意外な見方を提示してくれる。

広東語と日本語、英語による「パニック」の上演中には劇場に英語字幕が投影される。作品に対して信じられないほどひたむきな演者たちの上演を通しての極限まで献身により、作品はとてつもなく面白く、時に恐ろしく、時に爆笑を誘う、時に美しい場面に満ちあふれる。

全体的に見て作品の技術面は素晴らしかった。効果音も良く、衣装はとても奇抜であった。この作品はとても独創的で、このフリンジを体験するのに非常に素晴らしいものである。「パニック」の上演は9月28日まで、これは見逃してはいけない。

翻訳K.K

http://aussietheatre.com.au/reviews/melbourne-fringe-panic#.VChR2ZnQr4c


 2015年 東京公演 vol.22「遺すモノ~楢山節考より~」】
演劇最強論-ing マンスリープレイバック 2015年10月
演劇ジャーナリスト:徳永京子氏 藤原ちから氏 対談

徳永 素晴らしい作品だったので、ちょっと話をさせてください。THEATRE MOMENTSは、もう10年以上活動されている集団なんですけど、私が存在を知ったのは一昨年、審査員をさせていただいたせんがわ劇場演劇コンクールがきっかけです。特徴は、ひとつの小道具を徹底的に使いこなすこと。たとえばトイレットペーパーを手紙や包帯、立ち入り禁止のテープ、あるいは積み上げて柱、ジャンクな商品のシンボルなどさまざまなものに見立てて戯曲と絡め、俳優さん達がすごく高いスキル──伸ばしたトイレットペーパーを誤って切ってしまうことが絶対にないんです──で見せていく。既存の小説や戯曲をベースにしているのでせりふはありますが、ノンバーバルでも行ける感じ。  つまり印象としては、演劇よりパフォーマンスに近い。演劇のほうがパフォーマンスより高尚ということはないので、それで全くいいと思っていたんですが、新作の『楢山節考』が、手法はこれまでと同じなのに、完全に演劇でした。かつて日本にあった姥捨ての風習と、貧しい山村の暮らしが、登場人物それぞれの鮮やかな描写とともに見事に立ち上がっていたんですよね。俳優さんの身体能力が高いことはわかっていましたが、実は演技力が相当高いこともわかりしまた。今回の小道具は、さまざまなサイズの木枠だったんですが、引き戸や家具、体を縛る縄、姥捨の山の道を覆う木々などになって、こちらも見事でした。  小説とも映画とも違う、舞台ならではの『楢山節考』だったと思います。観た人がきっととても少ないので、国内外で上演を重ねてほしいと強く思います。

藤原 THEATRE MOMENTSはどこを拠点に活動されているんですか?

徳永 東京だと思います。演劇コンクールで優勝してから、せんがわ劇場で上演する機会が増えているようです。中心メンバーは、構成と演出の佐川大輔さんと俳優の中原くれあさんで、集団創作をしているようです。

http://www.engekisaikyoron.net/playback201510/


2004年 東京公演vol.4 「幸福な王子」】

「幸福な王子」を観劇してくださった古城十忍氏の劇評

主宰する劇団の女優が出るというので、ほとんど義理でさほどの期待もなく観にいった『幸福な王子』。これが予想を裏切って目を見張る新鮮さ。思わず知らず引き込まれた。ちょっとした俳優の動きや小道具の使い方で、いろんなタイプの人間、動物、植物さえも次々に目の前に現れてくる。アイデア満載。シンプルにして豊か。何より体の使い方が素晴らしい。この舞台には「観客が想像する楽しみ」という演劇の原点が存分にある。あの切ない童話がわくわくするようなフィジカル・シアターに生まれ変わる。頭の固い大人が観ても、小難しい理屈とは無縁の子どもが観ても楽しめる。「THEATRE MOMENTS」、役者のアンサンブルも申し分ない。僕は迷わず太鼓判を押す。

劇作家・演出家・一跡二跳主宰 古城十忍


2005年 東京公演vol.5 「時間の物語」 】
「時間の物語」を観劇してくださったイクバル・カーン氏の劇評

演劇とは特別な魔法を持っている。それは変化、変形の魔法だと思う。そしてこのカンパニーはその魔法を有り余るほど備えている。(アンサンブルとして)役者たちはパフォーマンスのテキストを良く知られている話を元に自分たち自身で考案しているが、そのストーリーテリングの手法には、ただの「物」がびっくりするようなものに変化するということが常に含まれている。例えば、5本の傘がヘリコプターや車になったり、幾何学的なデザインを現したり、そして役者たちの体がシュールな「時計の家」や理髪店、その他の色々なものに美しく変化を遂げるのである。 シアターモーメンツはまだ比較的若いカンパニーではあるが、大胆さとオリジナリティーを持ち合わせた主催者であり演出家でもある佐川大輔の指導のもと、このカンパニーの技術的な成長には著しいものがある。彼らのような活動形態の公演では、作品のレベルが一様に保てないということがしばしば起こる。限られた時間でのリハーサルと人的・物理的資源では、作品がワークインプログレスのような状態になってしまうこともある。しかしそのような環境の中で最高のものを創り出し、またこの「時間の物語」は間違いなく素晴らしい出来であったと言える。どの年代の人でも受け入れられ、優しさと楽しさ、そして心温まる情緒豊かなアイデアに溢れる作品である。

イクバル・カーン(英国人・演出家) 〔翻訳 平中早智子〕

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